2012年2月16日木曜日

観音寺、琴弾宮

神仏分離、廃仏毀釈という暴挙により、日本は破壊された。
我が郷里、観音寺も例外ではない。
古刹、観音寺の境内(十王堂付近)にあった武士団の墓所は、新たな神社施設の造営により、悉く破却され、嘗ての面影を失った。
これが宗教的行為というのであれば、斯様な宗教に価値は無い。
誠に残念なことである。
合掌。



 観音寺全体図

左上

右上

左下

右下

琴弾宮全体図

左上

右上

左下

右下

宿居、梅腋の濱他

左上

右上

左下

右下

2012年2月14日火曜日

香川藤太夫庸昌(香河藤太夫庸昌)


香川藤太夫庸昌(香河藤太夫庸昌)、郷里が生んだ非凡な才の先人である。
冒頭の画像は、拙宅に伝わる彼の蔵書に記された署名を蒐集したものである。
現在、紐解いている『生駒記』の類本『讃岐拾遺』の中に、「庸昌覚書ニモ・・・」、「庸昌云」といった記述が垣間見れる。興味深いことである。
合掌。


追記
彼の屋敷は、嘗て、観音寺市一ノ谷郷土史研究会の方々から、一ノ谷中田井にあったと聞き及んでいる。亦、活字化された著作としては、「家密枢鑑」が知られている。
尚、手元にある香川系図の一つに、「・・・・・香川連枝千変万化ト合戦スル所味方一族武運拙ク皆悉ク落城シテ一族所々ヘ離散ス是時・・・・・香川長太夫ハ刈田郡中田井村ヘ落行・・・・・」との記述があり、香川藤太夫は、長太夫の末裔かとも考えられる。
合掌。

上坂丹波守と大西上野守(大西上野介)

先のスレッドで記した上坂氏と大西氏の数奇な出会い、本日、東京大学史料編纂所が公開しているデータベース上の二系図でも確認した。


2謄写本2071.81-8阿波国古文書徳島県庁

上記文書第10分冊中の画像番号85左頁、画像番号89右頁に、其の事が記されている。
合掌。



注記
画像番号は、画像の左上に付されている。
合掌。


参考
時を遡ること四百二十数年、阿波の武将、大西上野守(大西上野介)は、観音寺へ逃れ、其の生涯を終えた。
田村左源太著「阿波大西氏研究」より、大西上野介の項
http://kanonji.blogspot.jp/2012/12/blog-post_18.html