2015年2月25日水曜日

猿田彦大神社(猿田彦社)  佐美長神社

猿田彦大神社(猿田彦社)  佐美長神社    志摩国答志郡磯部村恵利原














拙宅には、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を描いた水墨画がある。一昨年の十二月、家人と話していて、実に良く似ていると思った。それで、書庫から絵を持ち出し、二人で、猿女君(さるめのきみ)、猿田彦大神、そして、伊勢志摩の地のことを語り合ったのである。それから、一年有余の時が過ぎ、数日前、何故か、猿田彦大神のことが気にかかった。彼女が何度も伊勢志摩に出かけているのに比し、僕は一度きりである。為に、脳裏にイマージュを結ぼうと、「伊勢参宮名所図会全六巻」を紐解いたのであった。集中、第五巻に、猿田彦森、猿田彦大神社の絵図が描かれていた。僕は、この二葉の絵図に、言いようの無い深い感動を覚えた。まさに、震撼したのだ。それから、社の位置を比定しようとした。ところがである。現在の伊勢志摩の地から、この社は消えていたのだ。明治以降、合祀制度の為、数多の社がその姿を消したが、猿田彦大神社があった志摩の恵利原でも、明治になって、佐美長神社と名が変わり、何と、猿田彦神は姿を消し、大歳神のみが祭られていたのである。
僕たちの猿田彦大神社を訪ねる旅が始まった。
合掌。


追記
他の文献にも当たってみようと、
「志陽略誌」を紐解いてみた。乾の巻に、「
大歳宮 在恵利原村 祭猿田彦大神也 ・・・・・」との記述があった。猿田彦大神社が、確かに、志摩の恵利原の地に存在していたことを伝える、今一つの文献史料に出逢ったのである。嬉しかった。
合掌。





参考
「伊勢参宮名所図会・第五巻」、猿田彦大神社の絵図に先行して収録されている猿田彦森である。
此れから行き着かなくてはならない場所の一つである。
Mireiとの出逢いが、志摩の地に僕を向かわせている。
合掌。




補遺 2月26日
土地勘の無い僕ですが、何とか伊勢志摩の地誌を記した書冊に出逢いました。「三國地志」です。本書の巻之八十六、志摩國答志郡の神祠を記した項に、大歳社の名を見付け、その説明文の中に、猿田彦大神の記述を見出しました。
大歳社  神楽殿に猿田彦大神を祀る

嬉しいサプライズでした。
合掌。



補遺 2月28日
昨夜遅く、三重県郷土誌データベースと称する電子データに邂逅致しました。三重大学付属図書館が公開している史料群です。同大学教育学部の前身にあたる三重県師範学校が明治の頃に作成したものだそうです。詳細は、以下の参考をご覧になってくださいませ。
此処に、先日から、僕の脳裏を離れない答志郡磯部村恵利原に御鎮座されている佐美長神社(当該文書成立期の表記)に関する記述がございました。「猿田彦ノ神ヲ祭ル」と確かに記されていたのです。嬉しいサプライズでした。
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佐美長神社
伊雑宮ノ管社ニシテ、同宮ノ西南八町川辺ノ附近ノ山上、磯部村大字恵利原ノ地ニ鎮座。猿田彦ノ神ヲ祭ル。一名穂落ノ宮、高ノ宮トモ称ス。此レ、猿田彦神ノ鼻ノ高キト土地ノ高キニヨリテ、カク云フナリ。伊雑宮ニツギテ、當国ノ名社ナリ。創立ハ、垂仁天皇廿七年秋九月、実ニ一千百有餘年ノ古社ニシテ、神宮神嘗蔡ニ重キ関係ヲ有シ、伊雑宮神田蔡ニ深遠アル神祠ナリ。
(上之郷伊雑宮神田蔡ノ條参照)
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尚、本稿の成立時期ですが、表題には明治四十年八月、そして、データベース左上には答志郡磯部村(M29.3.29志摩郡)と表記されています。
という次第で、この時点に於いては、猿田彦大神は祭られていたのでした。異変が起きたのは、この後ということになります。
合掌。

参考
三重県郷土誌データベース
http://www.lib.mie-u.ac.jp/database/sub_index.html
「三重県郷土誌」は、教育学部の母体のひとつである三重県師範学校の生徒が、1904(明治27)年から1911(明治44)年にか けて、夏季または冬季休暇の課題として提出したものを、地域ごとにまとめて製本したものです。全43冊のうち、1冊は欠本と なっており、現存する和装本42冊を画像データベース化し公開しています。



神社整理(神社合祀・神社廃社) その一