2016年12月29日木曜日

風のガーデン カンパニュラの恋




風のガーデンというドラマがございました。僕のお気に入りの中井貴一氏が主演していました。この作品では、数多の花が紹介されていたのです。そして、ストーリーも幾つか並行していて、一体、何処で刷り合って来るのだろうと心配になったものでした。でも、佳い作品でした。そう、音楽も素敵だったのです。カンパニュラの恋、平原綾香さんが歌っておいででした。
合掌。


この作品では、各回ごとに、花の名が付けられていました。


第一話  スノードロップ

第二話  エゾエンゴサク
第三話  タイム
第四話  ゲラニウム
第五話  カンパニュラ
第六話  デルフィニウム
第七話  サポナリア
第八話  フロックス
第九話  ラムズイヤー
第十話  ユーフォルビア
最終話  ナツユキカズラ

2016年12月19日月曜日

日の丸盆



日の丸の意匠を用いた茶托盆です。書斎の机上で、日々、愛用いたしているもの。この茶托は、仙台地方の古民芸ということで、二十代後半の頃、骨董屋さんで幾つか求めたものです。素朴な雰囲気に惹かれたのでした。拙宅に伝わる古い輪島の食器類とは趣を異に致しますが、時には、こうしたものを使うのも佳いものです。張り詰めた神経を緩めてくれる作用があるようです。
合掌。

2016年12月15日木曜日

竹山道雄氏著『日記』より

世界事象は究極に於てむなしい。これが真の認識である。人はこの恐るべき認識に堪えて、それに鍛えられよ。そして、このむなしきものが最も具体的に現前するところ、即ち今の中に集中することを知れば、この鍛えられた人には、意義ある行為への熱情が生まれる。 
(竹山道雄氏著『日記』より) 

What happens in the world leads to nothing. To know this fact is the true recognition. I wish you to face this terrible fact and be hardened by it. When you are really hardened and come to know that the fact presents itself most clearly in the present, you are spurred to a significant action. 
(from the journal of Michio Takeyama)




竹山道雄氏の文章です。
若年時より、座右の書として参りました。
碩学に、心からの敬意を表するものです。
合掌。

2016年12月8日木曜日

宇賀大明神 (宇賀神社)  その二

十二月八日、社へ出かけたかった。
宇賀神社へは初めての参詣、かむさびた空間に心が震えた。
合掌。






宇賀大明神 (宇賀神社)  その一

讃州御国中村切高惣帳を紐解くと、三野郡の笠岡村に、三石・宮領と書記された一文がある。この宮は、生駒家家臣分限ノ記の寺社領では、笠岡宮領と記されている。宇賀大明神、現在の宇賀神社である。
きょうは快晴、これより、MTBで、宇賀神社に参詣いたす所存である。
合掌。


参考
以下のグラフは、拙著、讃州三野郡志から転載した。生駒藩政後期の笠岡村の様態を図示したものである。当時、笠岡村に知行を有していた宮、そして、侍の名が、確認できる。
合掌。


合田學著「讃州三野郡志(2001年刊)」

2016年11月17日木曜日

巨亀山 地蔵院 萩原寺

生駒家分限帳に見る巨亀山地蔵院萩原寺


現存する各種の生駒家分限(侍帳)を紐解くとその末尾部分に、生駒宗家が寄進した寺社の知行が記されている。それは、大別して、三つの項目からなっている。ここでは、生駒家家臣分限ノ記に収録されている寺領を、文書の掲載順に抽出、記すこととした尚、讃岐国外の寺には、*印を付し、便宜に供した。地方知行として寺領を給された寺の数は二十四ヶ寺、御初尾米として切米を給された寺は四ヶ寺、そして、寺領米を切米にて給された寺が二ヶ寺である。
ここで、注目したいのは、萩原寺の扱いである。讃岐の数多ある寺の内から撰ばれたのは、僅か二十三ヶ寺であった。その内でも、萩原寺は、寺領を給されたのみならず、御初尾米にも名を連ねているのである。然も、その筆頭に名が記されており、鞍馬、高野を凌ぐ扱いである。特筆した所以である。
合掌。

一、寺社知行


十石 観音領  <補陀洛山 清浄光院 志度寺>
二十石 千手寺  <一心山 弥光院 専修寺>
四十三石三斗二升 屋嶋寺  <南面山 千光院 屋嶋寺>
八石 石清尾宮坊  <巖清山 宝寿院 松海寺>
百五十石 勝法寺  <円頓山 興正寺> *
十八石二升 根香寺  <青峯山 千手院 根香寺>
百石 法泉寺  <竜松山 竜雲院 法泉寺>
六十三石八斗 国分寺  <白牛山 千手院 国分寺>
二石五斗 菩提寺  <五池山 菩提院 光貴寺>
百石 玉龍院  <正法山 玉龍院 妙心寺> *
六十石 白峯領  <綾松山 洞林院 白峯寺>
五十石 弘憲寺  <利剣山 遍照光院 弘憲寺>
一石九斗 福成寺  <梵音山 眞興院 福成寺>
九斗六合 高林寺  <梨岡山 伝燈院 専立寺
十八石 見性寺  <直指山 見性寺>
三百六石五斗 松尾領  <象頭山 金光院 松尾寺>
九石三斗 まんだらじ  <我拝師山 延命院 曼陀羅寺
五十石 誕生院  <五岳山 誕生院 善通寺
二石 柞原寺  <七寳山 柞原寺>
一石五斗四升 持寳院  <七寳山 持寳院 本山寺
四十石 けんぎょう與  <福聚山 寳壽院 神宮寺
一石 覚城院  <大寧山 覚城院 護国寺>
三石九斗七升 萩原寺  巨亀山 地蔵院 萩原寺> 
六石六斗 興昌寺  七寳山 興昌寺> 

一、御初尾米


切米十石 萩原寺  <巨亀山 地蔵院 萩原寺
切米五石 薬師坊  <鞍馬> *
切米五石 窪之坊  <高野山> *
切米五石 地寳院  <高野山> *

一、寺領米ニテ渡ス


切米四十石 寒松院  <津> *
切米三十石 香林寺  <法昌寺
参考として、萩原寺のある豊田郡萩原村の寛永期の様態を、合田學著「讃州御国中村切高惣帳(上坂氏顕彰会史料出版部1998年刊)」より、転載する。

2016年11月10日木曜日

我拝師山 延命院 曼荼羅寺

金毘羅参詣名所図会 第三巻より

中世末の騒乱を経、近世を迎えた讃岐には、豊臣系の新知大名が、赴任して来た。然し、仙石氏、尾藤氏は、島津攻めの不始末で、それぞれ一年で讃岐の地を去り、新たに生駒氏が、太閤与力・上坂氏等と共に、讃岐を領知した。
戦乱で灰燼に帰していた延命院曼荼羅寺に於いても、生駒宗家、そして、家臣の三野氏等の尽力により、文禄年中(1593-96年)、新たに堂宇が建立され、九石三斗の寺領が寄進された。その知行所は、讃州御国中村切高惣帳に依れば、多度郡吉原村に設定されていた。曼荼羅寺にとって、文字通り、近世の幕開けであった。
合掌。

付記
吉原村に知行所を持つ生駒家給人たちの名を見て驚いた。高松城下郭内に屋敷を持つ高禄の侍たちが十人以上いる。吉原の地は、佳きところであった証左のような気がする。
合掌。


合田學著「讃州御国中村切高惣帳」より、多度郡吉原村



参考
以下、金毘羅参詣名所図会第三巻に収録されている我拝師山延命院曼荼羅寺の項、全てアップロードする。
合掌。





2016年11月8日火曜日

芋畑の古跡

木版画を一葉(「金毘羅名所図会」所収「芋畑の古跡」)、お届けいたします。
https://2.bp.blogspot.com/-JuV8MPiZhGQ/WCCd6K0XzUI/AAAAAAAAHfw/kUUIi1Bgb_c-WryxaDU3lYJUeqKXHn_kwCLcB/s1600/20161107_-1958536357.JPG

月見よといもの子どもがねいりしを起しに来たか何か苦しき 西行上人
合掌。




金毘羅名所図会 解題
讃岐の地には、「こんぴらさん」として親しまれている「金刀比羅宮」がある。「讃州御国中村切高惣帳(寛永十六年成立)」によれば、古くは、「金毘羅」と称されており、別当を、松尾寺が勤めていた。上記の生駒家奉行文書は、生駒宗家が寄進した金毘羅領、後世、俗に言う御朱印地 三百三十石の内訳を、金毘羅領、二十三石五斗、松尾領、三百六石五斗と記している。(詳細は、合田學著「讃州御国中村切高惣帳」を参照されたい。)
国主、生駒氏の寺社への深い崇敬は、後の国主たちにも受け継がれていった。そして、維新の動乱、明治政府の樹立、廃仏毀釈が起こるまでは、讃岐の寺社には、平穏な日々が続いたようである。本書、「金毘羅参詣名所図会」は、そのような神仏分離以前の讃岐の寺社の姿を伝えてくれる史料として貴重である。
ただ、本書の著者は、執筆に際し、二ヶ月しか当地に滞在しておらず、細部に渡って、自身の見聞を記したとは言えないかもしれない。むしろ、当時存在したであろう文献資料を猟渉、執筆の参照にしたと考えた方が無難であろう。然し、何はともあれ、江戸期の人によって描かれた当時の讃岐の姿は、現代に生きる我々にとっては、随分と珍しいもので、参考になる。
本書は、六巻より構成されており、弘化四年(1847年)の出版である。
著者は、暁鐘成。「西国三十三所名所図会」、「摂津名所図会大成」、「淡路国名所図会」等の著作がある。絵師は、浦川公佐。
テキストの法量は、全六冊共に、縦25.0cm、横17.5cm。表紙には、赤色の和紙が使われている。
合掌。

2016年11月6日日曜日

サイクリング

サイクリングは愉しい。
風を感じ、思うが侭。
合掌。






2016年10月24日月曜日

秋桜 (コスモス)

秋桜(コスモス)、この淡い色味に、僕は、心惹かれます。
合掌。






2016年10月9日日曜日


MTBで、約三十キロほど走り、帰途、夕日に気付き、其の侭、海へ向ったのでした。
お届けいたします。
合掌。

2016年10月8日土曜日

奇妙な雲





奇妙な雲に出逢いました。雲好きの方には、珍しくないかもしれませんが・・・・・。
合掌。

2016年10月2日日曜日

天魔鬼神も怖れをなして 仰ぎ敬う大将軍は 藤の裾濃のおん着長に 赤地錦の垂衣を召し さすが美々しく出で立ち給う

天魔鬼神も怖れをなして 仰ぎ敬う大将軍は 藤の裾濃のおん着長に 赤地錦の垂衣を召し さすが美々しく出で立ち給う


邦画「天と地と」の中で、槍を持って歌いながら舞う、柿崎和泉守が素敵でした。
合掌。

2016年9月29日木曜日

仔猫の恋 邦画「陽だまりの彼女」



先日、邦画「陽だまりの彼女」を見ました。心に残った映画でした。仔猫の恋を描いたものでした。猫は、九回生きるというのです。生まれ変わる。仔猫が自分を助けてくれた少年に逢いたくて、無理をして人になったのだけれども、寿命は猫の侭だった。それで、結婚したものの、あっという間に、亡くなってしまう。そして、猫も人も、出逢ったという記憶さえ忘れてしまう運命。だけど、ある日、亦、二人は出逢ったのです。彼女の首には、嘗ての結婚指輪の付いたネックレスが・・・・・。
どんな形であれ、生まれ変わった時に、亦、逢えて佳かったねと、お互いが思える生き方が出来れば佳いなと思いました。
合掌。

仔猫と麒麟


昔々、娘と二人で、仔猫を飼いました。家族には内緒で。建物の関係で、誰にも気付かれない一坪くらいの空間があったのです。文鳥がいたから、屋内で飼えない窮余の策でした。一人でいる仔猫の為、保育園に通っていた娘が、猫の段ボール箱に、いっぱい絵を描きました。猫の横の麒麟さん、この縫い包み、未だ、娘の使っていた部屋にあります。
合掌。

2016年9月16日金曜日

生駒藩政史に関する合田學の著作、編纂書等々



拙著「讃州御国中村切高惣帳」は、御国中村切高惣帳という土地台帳と生駒藩組分侍帳という分限帳を繫いで構成したものでした。
1998年に初版を刊行した「讃州御国中村切高惣帳」に於いては、各郷村ごとの給人氏名を石高順に表記しています。そして、「讃州御国中村切高惣帳表計算篇」では、原文書表記の順に戻しました。その表計算データを元に、「宇足郡志」等、十三ほど刊行した讃岐全域に渡る郡志では、各地域をグラフ化致しました。用例として、宇足郡の法勲寺を添付致します。
こうした基礎的な作業を進めていく中で、当時の武将たちの心性に想いを馳せ、歴史と幾許かの繋がりを得てきたのが、僕の仕事でした。
地名と給人名と石高、これだけの表記から、様々な歴史事象を組み立てていくことが可能でした。この後、この仕事から、二十冊を越える新しい著作が誕生いたしました。古き佳き時代でした。
合掌。



付記
古文書講読の際、どうしても読めない箇所がございました。その夜、犬を連れて、公園を散歩しました。大きな楠がございます。そこが嘗ての一族の墳墓でした。神仏分離の際、移転を余儀なくされました。そこを通りかかった時、突風が吹き、大きな犬が尻尾を巻いてしまいました。その夜、甲冑を着た父祖が夢に現れました。そして、眼が醒め、書斎に行くと、綴じた筈の文書の懸案の箇所が開かれており、僕は読むことが出来ました。そうした経緯を経て誕生した書籍です。
合掌。 合掌。
 合田學著「讃州御国中村切高惣帳」より

 合田學著「讃州御国中村切高惣帳表計算篇」より

合田學著「讃州宇足郡志」より



生駒藩政史に関する合田學の著作、編纂書等々

合田學著 生駒家給人帳、生駒家知行帳、寛永期讃岐の知行形態(第四版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳、生駒家寛永知行帳(第三版)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記、校訂者補遺、デ-タベ-ス編(第四版)
上坂眞信著 生駒家家臣団の解体(第二版)
合田學編纂 生駒家家臣分限ノ記 テキスト、グラフ篇-1(第二版)
合田學編纂 生駒家家臣分限ノ記、五種の生駒家侍帳に於ける記載の異同
合田學編 生駒藩組分侍帳(第三版)
合田學著 生駒家襲封期高松城下家臣団屋敷図 郭内編
上坂眞信著 寛永年中讃州諸郡知行主総覧(第三版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 表計算篇(第三版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 表計算篇(第二版)
合田學著 寛永年中讃州生駒家知行帳 グラフ篇(第三版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 分析篇 郡-Ⅰ
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 分析篇 郡-Ⅱ
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 分析篇 郡-Ⅲ
合田學著 四種の生駒家侍帳に於ける記載の異同、生駒宗家直轄地一覧(第二版)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記 表計算篇-1 五十音順(第二版第二刷)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記 表計算篇-2 組分(第二版第二刷)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記 表計算篇-3 給知高順(第二版第二刷)
合田學著 新稿 讃岐に於ける新田開作
合田學著 讃州生駒家に於ける給人知行の概要(第四版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 グラフ篇
合田學著 寛永期讃岐の新田開作
合田學著 生駒宗家寄進寺社領の存在した寛永期讃岐の郷村
合田學著 明知行の存在した寛永期讃岐の郷村
合田學著 讃州大内郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州寒川郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州三木郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州山田郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州香東郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州香西郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州南條郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州北條郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州宇足郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第四版)
合田學著 讃州仲郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第四版)
合田學著 讃州多度郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州三野郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州豊田郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第四版)
合田學著 讃岐に於ける新田開作(第二版)

2016年8月31日水曜日

ある日の夕焼け











先にアップロードした「海からの風」と撮影日が前後する写真群です。
合掌。

2016年8月30日火曜日

海からの風







僕は、海から吹いて来る西風に育てられました。この風が吹いてくると、元気を取り戻します。
合掌。