2015年1月20日火曜日

景政社、御霊社

昨年末に母を亡くし、意気消沈しています。母の遺骨を前に、香を焚き、経を唱える日々を続けているのです。そして、数日前から、全く気力を欠きつつあります。この喪失感、埋め合わせるものがございません。
父祖を祀った神域へ参入すれば、元気をいただけるかと思うのです。然し、喪中故、それも適いません。為に、此処暫くは、力の源泉を絶たれるわけです。
それで、こうした父祖を祀った文献を頼りに、エネルギーの充填を図りたく思います。じゃないと、生きること自体が難しいのです。

合掌。

追記
母の喪は、古来からの仕来たり通り、きちっと服する所存です。そうした時を経ることによって、一族の心が、過去から未来へと繋がると思うのです。僕に課された義務です。
それにしても、親を亡くすということは、辛いことですね。
合掌。


香川縣神社誌トリミング

香川縣神社誌

香川縣史

姓氏家系辞典

西讃府志

西讃府志

西讃府志

新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿

相州鎌倉絵図トリミング

相州鎌倉絵図トリミング

相州鎌倉絵図

2015年1月8日木曜日

赤松則房++++ 阿波一万石(置塩領)

私は、以前から、豊臣政権期の讃岐生駒藩に於ける太閤与力(後の付き家老)の存在に関心を抱いてきた。ある時、隣国、阿波蜂須賀藩に於いても、太閤与力が存在していた事実を知った。その史料の収集過程で、阿波では、蜂須賀氏、そして、太閤与力の諸氏以外にも、一万石を領する大名がいたことが分かった。驚きだった。その大名とは、播磨守護職、赤松氏の末裔である赤松則房公であった。この人は、関ヶ原の合戦で西軍に就き改易されるまで、阿波板東郡内の二十三箇村で、併せて一万石を領知した。その版図は、赤松氏の播磨時代の居城の名に因み、置塩領と呼ばれた。居城は住吉城。
関ヶ原の後、赤松氏は改易処分を受け、その遺領は、賀島主水(細山帯刀)が継いだ。この細山帯刀については、赤松氏の養嗣子になっていたという記録もある。赤松氏配絶後、彼は蜂須賀家中に復帰、蜂須賀藩二番家老の格式を誇る一万石の家の初代当主となった
赤松氏の所領は、全て板東郡の内にあり、詳細は、以下の通りである。
合掌。


中富++++++++++504石4斗0升3合9勺

本村++++++++++119石5斗1升4合0勺


鳴瀬++++++++++196石3斗5升3合0勺


乙瀬++++++++++294石1斗1升3合0勺


矢上++++++++++454石3斗5升0合1勺


大寺++++++++++908石5斗2升4合0勺


辻村++++++++++156石3斗3升8合5勺


松村++++++++++426石5斗4升3合0勺


北村++++++++++615石6斗8升2合0勺


奥野+++++++++1123石4斗3升9合0勺


住吉++++++++++395石5斗6升0合0勺


高房++++++++++450石3斗1升9合5勺


板東村++++++++841石2斗9升4合0勺


萩原++++++++++420石7斗0升6合8勺


高畠++++++++++379石5斗3升2合0勺


西馬詰++++++++256石7斗3升9合0勺


姫田++++++++++706石1斗6升4合8勺


大代++++++++++293石3斗7升4合7勺


宮島+++++++++++24石1斗4升6合0勺

宮島塩方+++++++80石0斗0升0合0勺

唐園++++++++++277石3斗7升2合0勺


矢宅++++++++++666石5斗7升2合0勺


神宅神宮寺++++233石0斗1升6合0勺


宮河内+++++++++83石3斗2升9合0勺



上記数値の合計

置塩領+++++++9907石3斗8升6合3勺



参考

續群書類従卷第七百八に収録されている「慶長三年大名帳」をご紹介申し上げる。  
五葉目の画像の下段左に、赤松上総の名が見える。
合掌。







2015年1月5日月曜日

海上自衛隊練習艦隊2014 写真

江田島の幹部候補生学校を卒業した若者たちを乗せた海上自衛隊練習艦隊が、三月二十二日正午過ぎ、南備讃瀬戸航路を通過致しました。
艦隊は、TV3508かしま・TV3518せとゆき・DD151あさぎり・TV3517しらゆきの順に、単縦陣で進んで参りました。
合掌。








2014年12月6日土曜日

阿波藩、蜂須賀家に仕官した香河氏

徳島大学図書館所蔵「蜂須賀家家臣成立書并系図」を閲覧中、勝間勘左衛門の項に目が留まった。何と、勝間氏は、讃岐香河氏の流れを汲む香河久三郎景直の末裔であった。
以下、勝間氏の略年譜を記す。

合掌。


初代 
香河久三郎景直
七人御扶持方御支配拾八石

御伽小姓役、御鷹匠頭
  

二代 
勝間左市兵衛景光
七人御扶持方御支配十八石 → 高百石
御鷹方御用


三代 
勝間丹兵衛景吉
高百石
御鷹方御用


四代 
勝間常左衛門景尚
五人御扶持方御支配十石 → 高百石
御蔵奉行、大坂屋敷御目付


五代 
勝間寿一郎景綱
五人御扶持方御支配十石 → 高百石
御鷹方御用、北御蔵目附、小払御奉行



六代 
勝間勘左衛門景行
高百石
大坂屋敷御目付、西之丸御番


七代 
勝間繁左衛門景胡
高百石
御城山定御番



八代
勝間勘左衛門元則
高百石
江戸警衛御用

2014年11月22日土曜日

根香寺

讃岐五色台山上にある根香寺(ねごろじ)のアプローチです。この寺は、山門を潜った後、すぐ石段を下り、そして先の数倍の石段を上ります。この想藝が絶妙で、僕のお気に入りです。
合掌。








2014年10月3日金曜日

喩珈山蓮臺寺慈聖院





廃仏毀釈、神仏分離など行うものだから、一昔前の日本を、己が脳裏に再現することが、とても難しくなりました。為に、僕は、こうして、江戸期に刊行された名所図会を紐解きます。
今回取り上げたのは、海の向こう、備前(岡山県倉敷市)にある喩珈山蓮臺寺慈聖院(由加山蓮台寺慈聖院)です。嘗ては、高名な霊場でした。
合掌。