2013年8月30日金曜日

香川氏と弥谷寺




昨日、観音寺香川氏の末裔である山口の石井さんが参られ、ふる里で好物のうどんをいただきながら、最近の調査結果をご教示いただいた。
それから、三野町誌(382-383頁)に記載された墓所の確認の為、弥谷山さんへと参った。写真はその時のものである。
亦、アップロードした町誌は、父の書斎にあったものを画像データ化したものである。
合掌。


追記
三野町誌に引用されていた新大見村史の記述を、以下、画像データにてアップロードする。
香川山城守景澄室の出自が大西氏であったこと、大変、興味深い。後、上坂丹波守在城時の観音寺城へ大西上野守が来訪、その庇護下で余生を過ごした事実と併せ、大西氏の存在も一考を要する。
山城守の居城だと伝えられている高谷城の確定を急ぎたい。観音寺城は、別名、高丸城と呼ばれ、香川景全の居城であったと伝えられるが、山城守を名乗る一門衆が、嘗て、観音寺城(高丸城)の主であった可能性もある。と申すのも、最西端の要地、観音寺に、景全(信景の弟)襲封以前に城がなかったとは考えられないからである。
合掌。



補遺
以下の記述も、何だか繋がってきそうな予感がある。山城守の室が、大西氏の子女であったからである。

参考
時を遡ること四百二十数年、阿波の武将、大西上野守(大西上野介)は、観音寺へ逃れ、其の生涯を終えた。
上坂丹波守と大西上野守(大西上野介)
観音寺城については、以下のURLを参照されたい。  
http://kanonji.blogspot.com/2011/11/blog-post_3261.html
観音寺十王堂跡地については、以下のURLを参照されたい。 
http://kanonji.blogspot.com/2010/01/blog-post.html
合掌。

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