2017年12月23日土曜日

筑後國河北庄内*合田一族*跡事 (大日本史料 第七編之三十一)

過日、大日本史料を紐解いていると、嘗て、筑後國の河北庄に、合田氏が所領を持っていたことが分かりました。此処は、現在の地名で、どの辺りになるのかしらと、フェイスブックに記したら、九州在住の佐々木姉が、今の久留米市の筑後川右岸の辺りだと教えてくださいました。
この文書に先行する時代、筑後は名越(北條)朝時・時章が守護に任じられており、名越氏の名代で、各地で働いていた合田氏の存在は、白山文書(白山宮庄厳講中記録)の記述からも知られています。その合田六郎系合田氏の知行所があったのでしょうか。それとも、弘安の役(元寇)で活躍した合田五郎系合田氏の恩賞地が設定されていたのでしょうか。
歴史は興味が尽きません。
合掌。

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