則天行地歌(そくてんぎょうちのうた) 作詞作曲:大川周明
久遠(くをん)の理想(りさう)抱(いだ)きつつ
混濁(こんだく)の世(よ)にわれ立(た)てば
義憤(ぎふん)に燃(も)えて血潮(ちしほ)湧(わ)く
嗚呼(ああ)我(わ)が胸(むね)に漲(みな)ぎるは
天(てん)に則(のつ)とり王道(わうだう)を
地(ち)に行(おこな)はむ志(こころざし)
權門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
國(くに)を憂(うれ)ふる誠(まこと)なし
大地(だいち)震(ふる)へど尚(なほ)覺(さ)めず
白虹(びやくこう)地(ち)をば貫(つらぬ)けど
天(てん)を畏(おそ)るる心なく
ただ苟安(こうあん)をこととせり
財閥(ざいばつ)富(とみ)を誇(ほこ)れども
民(たみ)を念(おも)ふの情(なさけ)なし
飢(う)ゑに迫(せま)れる同胞(どうはう)は
國(くに)を呪(のろ)ひてひたすらに
亂(らん)を思(おも)へど顧(かへ)りみず
ただ貪婪(どんらん)の爪(つめ)を研(と)ぐ
正義(せいぎ)に結(むす)ぶ益良雄(ますらを)の
使命(しめい)は重(おも)し混沌(こんとん)の
國(くに)と民(たみ)とを救(すく)ふべく
雙刄(もろは)の劍(つるぎ)提(ひつ)さげて
吾(われ)ら起(た)たずば天(あま)照(て)らす
この日(ひ)の本(もと)を如何(いかに)せん
この歌詞の一節に見覚えがあるかもしれません。何故か、三上卓なる人の「昭和維新の歌」として、一人歩きしてしまいました。事実は、大川周明氏の著された行地社の社歌に手を加えたものです。
此れを機会に、行地社なるものを、ご記憶くださいませ。
大正時代に設立され、機関誌、月刊日本を刊行、亦、数多の単行本も出版いたしました。いま一つ、加筆すれば、ロシア亡命思想家が唱えたユーラシア主義の文献をいち早く翻訳、刊行したのも、行地社です。近年、学者馬鹿が、失われた思想の範疇で論じていますが、行地社は、同時代に於いて、現実世界に通用する思考として、日本に紹介していたのです。
そして、藤井斉海軍大尉の名をご記憶ください。彼が存命ならば、三上氏が、これほど名を残すことは無かったでしょう。藤井斉海軍大尉、菅波三郎陸軍大尉、海陸の俊秀でした。
合掌。