私は、以前から、豊臣政権期の讃岐生駒藩に於ける太閤与力(後の付き家老)の存在に関心を抱いてきた。ある時、隣国、阿波蜂須賀藩に於いても、太閤与力が存在していた事実を知った。その史料の収集過程で、阿波では、蜂須賀氏、そして、太閤与力の諸氏以外にも、一万石を領する大名がいたことが分かった。驚きだった。その大名とは、播磨守護職、赤松氏の末裔である赤松則房公であった。この人は、関ヶ原の合戦で西軍に就き改易されるまで、阿波板東郡内の二十三箇村で、併せて一万石を領知した。その版図は、赤松氏の播磨時代の居城の名に因み、置塩領と呼ばれた。居城は住吉城。
関ヶ原の後、赤松氏は改易処分を受け、その遺領は、賀島主水(細山帯刀)が継いだ。この細山帯刀については、赤松氏の養嗣子になっていたという記録もある。赤松氏配絶後、彼は蜂須賀家中に復帰、蜂須賀藩二番家老の格式を誇る一万石の家の初代当主となった。
赤松氏の所領は、全て板東郡の内にあり、詳細は、以下の通りである。
合掌。
中富++++++++++504石4斗0升3合9勺
本村++++++++++119石5斗1升4合0勺
鳴瀬++++++++++196石3斗5升3合0勺
乙瀬++++++++++294石1斗1升3合0勺
矢上++++++++++454石3斗5升0合1勺
大寺++++++++++908石5斗2升4合0勺
辻村++++++++++156石3斗3升8合5勺
松村++++++++++426石5斗4升3合0勺
北村++++++++++615石6斗8升2合0勺
奥野+++++++++1123石4斗3升9合0勺
住吉++++++++++395石5斗6升0合0勺
高房++++++++++450石3斗1升9合5勺
板東村++++++++841石2斗9升4合0勺
萩原++++++++++420石7斗0升6合8勺
高畠++++++++++379石5斗3升2合0勺
西馬詰++++++++256石7斗3升9合0勺
姫田++++++++++706石1斗6升4合8勺
大代++++++++++293石3斗7升4合7勺
宮島+++++++++++24石1斗4升6合0勺
宮島塩方+++++++80石0斗0升0合0勺
唐園++++++++++277石3斗7升2合0勺
矢宅++++++++++666石5斗7升2合0勺
神宅神宮寺++++233石0斗1升6合0勺
宮河内+++++++++83石3斗2升9合0勺
上記数値の合計
置塩領+++++++9907石3斗8升6合3勺
参考
續群書類従卷第七百八に収録されている「慶長三年大名帳」をご紹介申し上げる。
五葉目の画像の下段左に、赤松上総の名が見える。
合掌。