2015年11月4日水曜日

天晴れ、飯尾彦之丞兼晴の武者ぶり。生駒騒動・後日談。

嘗て、生駒騒動と称された家中騒動があった。騒動の結果、讃岐生駒家は改易、数多の家臣が非命に倒れた。家中の政策論争を、己が無能力さ故、公のこととし、幕府に訴え、数え切れないほどの有為の人材の前途を閉ざした生駒帯刀、藩主の一族ということで命を全うした。然し、当時の武士社会に於いては、正義が赦さない。飯尾兼晴の見事な仇討ちに依って、生駒帯刀は絶命した。
この事実を、数多の非命に倒れた生駒家家臣の御霊に、そして、その末裔たちにご報告いたしたく、この拙文を用意した。
以下の画像データは、大日本復讐叢書(
1889年4月15日刊)所収「飯尾兼晴 生駒生種 雲州松江仇討」、及び、松江藩祖直政公事蹟(1916年5月28日刊)から、当該箇所を抽出したものである。

合掌。


参考 

天晴れ、飯尾彦之丞兼晴の武者ぶり。生駒騒動・後日談。 その二 http://kanonji.blogspot.jp/2015_11_15_archive.html 上坂眞信著 「生駒騒動」 
http://kousakashikenshoukai.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html

讃州生駒家家臣 飯尾氏 http://iewake.blogspot.jp/2012/07/blog-post_7684.html