2011年12月3日土曜日

長宗我部地検帳を紐解いていたせいか、国吉城へ・・・。

午後から、西長尾にある国吉城址を訪れました。実は、地検帳を具に見るまでは、長宗我部など蛮族の親分くらいにしか思っていなかったのです。然し、地検帳を紐解く内に、これは違う。何と繊細で、何と気宇のある武将だと思い始めたのでした。亦、情に厚い・・・・・。嘗て、京の都で活躍した香川氏が講和を結ぶ筈だと思ったのでした。換言すれば、長宗我部と戦った阿波、或いは、讃岐の一部の武将たちの知見の無さを慨嘆したのでした。四国が嘗ての細川氏の統治下のように、長宗我部氏のもと、纏まっていれば、畿内の勢力に一泡吹かせられたかもしれない。そんな風に思ったりもするのです。城址は見事でした。一見の価値有りです。
合掌。




この地図は、「香川県中世城館跡詳細分布調査報告(香川県教育委員会2003年刊)」より転載した。関係諸氏に、記して、お礼を申し上げる。
合掌。

2011年12月1日木曜日

文書から見る観音寺香川氏の事跡 ニ

長宗我部地検帳幡多郡入野郷を中心に、観音寺新左衛門(香川新左衛門)と観音寺備前守(香川備前守)の給地がある。


観音寺新左衛門(香川新左衛門)
       
幡多郡 鹿持村(三筆)
       
幡多郡 鹿持村キワイ谷村(六筆)
       
幡多郡 鹿持川村(二百五十六筆)
       
都合、二百六十五筆。
       

観音寺備前守(香川備前守)  
       幡多郡 井田村(六筆)
       
幡多郡 入野本村(六筆)
       
幡多郡 上田之口村(ニ筆)
       
幡多郡 鹿持村(一筆)
       
幡多郡 式地岩田村(一筆)
       
幡多郡 式地口鴨川村(一筆)
       
幡多郡 安並村(ニ筆) 
       
都合、十九筆。
       




補遺
今、机上に地検帳がある。何とか表計算データとして纏めてみようとしているのだが、観音寺香川氏に於いては、例外事項の記述が多々あり、当惑しているというのが、偽らざる所である。
上岡正五郎氏著「地検帳が語る幡多の歴史」を紐解くことによって、何とか、道を探ろうと試みている。
合掌。

2011年11月30日水曜日

文書から見る観音寺香川氏の事跡 一

南路志巻二十八幡多郡鹿持川の項に、以下の記述が見られる。

鹿持川村 入野郷 (刊本南路志第三巻374頁)

長法寺 禅宗長泉寺末

本尊
寺記曰 寺之向ニ古城有、観音寺新左衛門城床ト云。当寺ハ、右之新左衛門菩提之為ニ地下より建立と言伝。位牌ハ長浜高福寺ニ有、当寺ニハ位牌無之。七月十一日、毎年地下不残当寺江諸人集り施餓鬼供養有、若私用ニ而不出合者ハ祟りを受ける事奇妙也。祭ル所、寺の南ノ木犀ノ木之本ニ而祭。若所を替候へハ忽風吹棚吹落申ニ付、古今日も替不申、所も不替、古城へ向候而手向仕也。



付記
「南路志3(高知県立図書館1991年刊)」から引用した。高知県立図書館、及び、関係諸氏に、心からのお礼を申し上げる。
尚、本活字本の底本は、天理大学図書館に蔵されているとのことである。
合掌。

参考
観音寺村 中村郷 (刊本南路志第三巻389頁)
古城 観音寺新左衛門居之。

追記
東京大学史料編纂所のデータベース上で、「南路志」が公開されている。
有り難い事である。
合掌。