2016年2月29日月曜日

蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)の會津城下屋敷地

日本三代実録貞観六年十月十五日の項で見出した賀富良津神、東寺百合文書天喜四年十二月五日の讃岐国善通寺地子等支配状案に記されていた蕪津明神、ここ数日の僕は、時を隔てること、千年前の世界を彷徨っていました。高良、賀富良、蕪、何かがあるのです。
そんな分けで、充実はしているものの、心身は疲労困憊。そんな僕に、先ほど、神様がプレゼントをくださいました。嘗て、調査しても見出すことが適わなかった蒲生時代の會津城下屋敷図でした。吾が蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)の蒲生家中で占める地位が、分限帳同様、確固として明示されていました。後の保科松平氏の時代には、家老の西郷頼母が、五郎兵衛さんの屋敷に住むことになったようです。大手正面の一等地です。
合掌。






付記
この城下屋敷図の頃の侍帳が、ネット上で、公開されています。参考までに、URLと画像の一部を添付します。
http://aizu.sub.jp/mokuji/bunkazai/bTOP.html
合掌。

蕪津明神




東寺百合文書に、天喜4年12月5日、讃岐国善通寺地子等支配状案がございます。
その内に、蕪津明神の名が記されています。
高良、賀富良、蕪。
合掌。



付記
先のスレッドでご紹介申し上げた「明治神社誌料」収録の熊手八幡神社の項では、以下の「讃岐国官社考証」の記事が使われているようです。
合掌。


2016年2月28日日曜日

賀富良津神

太古、かふらのかみさまが、ご鎮座され、その地は、かうらと呼ばれるようになった。賀富良という漢字が当てられた。そして、そこに、湊が開削され、賀富良津と称された。時を経、人々は、かふらのかみさまを、賀富良津神と記し、尊崇した。
合掌。


国史大系.第四巻所収「日本三代実録」


賀富良津神、今、国史大系.第四巻所収「日本三代実録」貞観六年十月十五日の項で名を見出すことが適いました。高良神だと思うのです。神を崇敬し、日々、歌を詠む友と過ごした時が、僕を、この時空間へと運んでくれたような気がいたします。
合掌。



明治神社誌料府県郷社 香川県 熊手八幡神社



参考 以下、神社覈録(ジンジャ カクロク)からの引用です。



付記
続群書類従神祇部に収録されている「神階記」巻之三に、賀富良津の記載を確認いたしました。
合掌。



追記
江戸後期の金毘羅参詣名所図会では、迦毘羅津という字が使われています。たった今、気付きました。
合掌。