観音寺古地図
教西物語
合田學著「讃州豊田郡志 史料篇-1」
合田學著「讃州豊田郡志 史料篇-1」
一昨日、出先で、柞田に関する古い記述が無いかとの質問を受けた。柞田は、近世初頭、吾が母方の父祖、上坂氏(太閤与力・観音寺城主)が、2170石という、当時としては稀有な一括知行を行っていた地域であった。佳い機会であるので、鎌倉期以降の柞田の名が記された文書を幾つかご紹介申し上げることとする。
合掌。01 續左丞抄
讃岐柞田荘四至膀示注文 建長八年(1256年)八月廿九日
續左丞抄 第一
續左丞抄 第一
02 續左丞抄
讃岐柞田荘實検田畠在家目録 建長八年(1256年)八月廿九日
續左丞抄 第一
續左丞抄 第一
03 兼仲卿記(勘仲記)
祝部成顕重申状
04 續群書類従の神祇部巻第五十二
元應元年大社小比叡社社家注進状
付記
01から04に関する簡便な講読手段として、鎌倉遺文収録の活字化史料を紐解くことをお奨めする。
第11巻-文書番号8025、第11巻-文書番号8026、第20巻-文書番号14963、第35巻-文書番号27295。
第20巻-文書番号14963
05 讃州府志
藤原家資の海賊捕進の功に言及した藤尾城の項に、柞田大夫村重の名が見えけられる。
06 九条家文書
入道前摂政藤原道家の惣処分を伝える文書中に、讃岐国柞田庄の名が記されている。
07 根岸文書
細川顕氏書簡に、日枝社領讃岐国柞田荘雑掌の記事が見える。
08 細川文書
足利義満書簡中に、柞田地頭職のことが記されている。
付記
05から08に関する簡便な講読手段として、大日本史料収録の活字化史料を紐解くことをお奨めする。
第5編20巻122頁、第5編34巻125頁、第6編11巻569頁、第7編4巻517頁。
第5編20巻122頁
09 細川文書
細川常久(頼之)書状に、柞田殿(頼有)と記されている。
付記
09に関する簡便な講読手段として、南北朝遺文の活字化史料を紐解くことをお奨めする。
第6巻-文書番号5252
第6巻-文書番号5252
合掌。