生駒家分限帳に見る巨亀山地蔵院萩原寺
現存する各種の生駒家分限帳(侍帳)を紐解くと、その末尾部分に、生駒宗家が寄進した寺社の知行が記されている。それは、大別して、三つの項目からなっている。ここでは、生駒家家臣分限ノ記に収録されている寺領を、文書の掲載順に抽出、記すこととした。尚、讃岐国外の寺には、*印を付し、便宜に供した。地方知行として寺領を給された寺の数は二十四ヶ寺、御初尾米として切米を給された寺は四ヶ寺、そして、寺領米を切米にて給された寺が二ヶ寺である。
ここで、注目したいのは、萩原寺の扱いである。讃岐の数多ある寺の内から撰ばれたのは、僅か二十三ヶ寺であった。その内でも、萩原寺は、寺領を給されたのみならず、御初尾米にも名を連ねているのである。然も、その筆頭に名が記されており、鞍馬、高野を凌ぐ扱いである。特筆した所以である。
合掌。
ここで、注目したいのは、萩原寺の扱いである。讃岐の数多ある寺の内から撰ばれたのは、僅か二十三ヶ寺であった。その内でも、萩原寺は、寺領を給されたのみならず、御初尾米にも名を連ねているのである。然も、その筆頭に名が記されており、鞍馬、高野を凌ぐ扱いである。特筆した所以である。
合掌。
一、寺社知行
十石 観音領 <補陀洛山 清浄光院 志度寺>
二十石 千手寺 <一心山 弥光院 専修寺>
四十三石三斗二升 屋嶋寺 <南面山 千光院 屋嶋寺>
八石 石清尾宮坊 <巖清山 宝寿院 松海寺>
百五十石 勝法寺 <円頓山 興正寺> *
十八石二升 根香寺 <青峯山 千手院 根香寺>
百石 法泉寺 <竜松山 竜雲院 法泉寺>
六十三石八斗 国分寺 <白牛山 千手院 国分寺>
二石五斗 菩提寺 <五池山 菩提院 光貴寺>
百石 玉龍院 <正法山 玉龍院 妙心寺> *
六十石 白峯領 <綾松山 洞林院 白峯寺>
五十石 弘憲寺 <利剣山 遍照光院 弘憲寺>
一石九斗 福成寺 <梵音山 眞興院 福成寺>
九斗六合 高林寺 <梨岡山 伝燈院 専立寺>
十八石 見性寺 <直指山 見性寺>
三百六石五斗 松尾領 <象頭山 金光院 松尾寺>
九石三斗 まんだらじ <我拝師山 延命院 曼陀羅寺>
五十石 誕生院 <五岳山 誕生院 善通寺>
二石 柞原寺 <七寳山 柞原寺>
一石五斗四升 持寳院 <七寳山 持寳院 本山寺>
四十石 けんぎょう與 <福聚山 寳壽院 神宮寺>
一石 覚城院 <大寧山 覚城院 護国寺>
三石九斗七升 萩原寺 <巨亀山 地蔵院 萩原寺>
六石六斗 興昌寺 <七寳山 興昌寺>
一、御初尾米
切米十石 萩原寺 <巨亀山 地蔵院 萩原寺>
切米五石 薬師坊 <鞍馬> *
切米五石 窪之坊 <高野山> *
切米五石 地寳院 <高野山> *
一、寺領米ニテ渡ス
切米四十石 寒松院 <津> *
切米三十石 香林寺 <法昌寺>
参考として、萩原寺のある豊田郡萩原村の寛永期の様態を、合田學著「讃州御国中村切高惣帳(上坂氏顕彰会史料出版部1998年刊)」より、転載する。