長い長い間、課題とし、果たしていないことがある。その一つが、海軍戦闘機搭乗員(零式艦上戦闘機搭乗員)だった亡き叔父が駐留していたスラベシ(セレベス)島ケンダリーの旧帝国海軍航空基地を訪ねる旅である。
叔父たちの部隊は、此処からニューギニア方面へ前進、米軍と真っ向勝負を続けたのである。
日本は、戦に負けこそしたが、長きに渡り、欧米列強と互角以上に戦った。実に、良く戦い抜いた。世界は、全て欧米の植民地、今、吼えている民族は、皆、鎖につながれていたのだ。そうした中で、孤軍奮闘、己が誇りを守ろうとしたのである。実に立派ではないか。末裔である私たちが卑下することは何一つ無い。国家が掲げた理念、或いは当時の若者たちが抱いた理想が間違っていた分けではないのである。敗者イコール悪者という歴史観を、現在の私たちが受け入れては、先人たちの苦労が無になってしまう。
この辺り、しっかりと考え、先達たちを顕彰しなくてはならない。靖国のお宮に対して、当時、国家の体も成さず独立した民族としての責任も持たなかった輩たちの口出しを赦してはならない。立派な父祖を持った日本人として、私たちは、その気概を大事にしよう。
写真、空母から発艦前の零式艦上戦闘機、日本海軍機の攻撃を受け炎上中の英国海軍艦艇(空母ハーミーズ重巡コーンウォール)。
掲載画像は、全て、拙宅所蔵の写真を電子データ化したもの。
合掌。