2017年4月21日金曜日

澤村勘兵衛勝為候、小川江堰の建設者。

きょうは、S姉の文章で、穀雨という言葉を覚えました。丁度、午後から雨でしたので、この言葉、心に残りました。そして、昨日のS姉の文章から、澤村勘兵衛勝為という、江戸初期の武士に興味を覚えました。小川江堰の建設者です。僕は、この平・内藤家中の武士に心惹かれ、幾つか、書冊を紐解いたのでした。以下、記してみたく思います。
最初は、「偉人事蹟(1908年刊)」、「福島県偉人事蹟(1912年刊)」、「東北の秘史逸話(1930年刊)」、「実地踏査記(1939年刊)」といった書籍中に記されていた記事に眼を通したのでした。その後、四家文吉という方が、「贈位されたる偉人沢村勝為(1915年刊)」という書籍を刊行していることに気付きました。これには驚きました。それで、これだと、江戸時代に成立している地誌を探さねばならないなと思ったのでした。ところが、平は、戊辰戦争の折、幕府側に就いた為、古文書、古文献が灰燼に帰していたのでした。文政九年に纏められた「磐城志」も過半が散逸し、澤村氏に関する記述は見出せませんでした。亦、寛文年中に著された「磐城風土記」でも言及されていませんでした。それで、仕方が無いので、今一つの地誌「磐城史料」を講読してみました。本書は、「磐城志」の欠落を補うべく、明治四十五年に刊行されたものです。そして、ここに、僕は、幾ばくかの記述を見出したのです。遠隔の地故、土地勘も無く、基本文献も存じない僕でしたが、何とか澤村勘兵衛勝為候の事跡の梗概を確認することが出来ました。こうした調査、とても興味深く、僕は好きです。
こうした機会を与えてくださったS姉に、心からの感謝を捧げるものです。
合掌。


実地踏査記(1939年刊)


 磐城史料(1912年刊)

  磐城史料(1912年刊)

 磐城史料(1912年刊)