2012年11月24日土曜日

覚伝大明神、或いは、角田(かくでん)さん

連休中日の今日、阿波の友人、渡辺氏の誘いで、徳島県三好市へ出張した。池田の町並み散策のあと、昼食をいただいた。それから、図書館を訪れ、「山城谷村史」を紐解いた。同行の友の話では、同書中に角田さんの名があるというのである。
讃岐観音寺の夏祭りは、龍王さん、蛭子さん、住吉さん、角田さんと続く。此れは、旧観音寺町内に住まいした者であれば、脳裏にあることである。ただ、角田(かくでん)さんは、他のお宮のご祭神とは異なり、お隣、阿波の武将、大西氏に繋がるものである。
大西氏の地元、阿波では、同所のみならず他地域をも網羅した大西神社に関する研究が行われてきた。然し、何故か、観音寺の角田さん(大西神社)への言及がなされていない。これは不可解なことである。因みに、大西氏に関しては、大西上野介も、上坂氏を頼り観音寺に落ち延びていた事実が、大西氏諸系図に記されている
地元で研究が進まないのであれば、此方でと思った。では、角田さんは、誰なのか。若しかして、上野介さんなのか。そう考えたこともあった。そして、今日、友人の手引きで、旧山城谷村(現三好市山城町)に、角田さんの事跡が伝わっていることを知った。
以下の文章は、「山城谷村史1208頁」からの引用である。
覚伝大明神
岩戸名都谷の原田芳一家の後の山林に俗に「カクデンサン」と称する塚がある。塚は川口黒川線(旧大野線)街道の路傍にあって、側に周囲三尺餘の椿の御神木がある塚の上には高さ約八寸屋根の長さ約一尺位の屋形型の石の御宮が束向に建立されている。右方に開く石の扉があって之を開けると中に覚伝大明神と刻まれている其の以外には文字はない、同家では御宮の上に木造の御須屋をこしらえ盆や旧節季などにはお燈明をあげお供物をしたり旧歳末には注連を張ったりして祭祀を行って居る。昔は婦女子で不浄な者は避けて通ったもので其の避け道が塚の下側に残っている。覚伝は大西角田であろう。覚養との関係については、確証はないが、大西氏の一族であり、本村に関係あったことは間違いないと思う。
上記引用文中に記されている原田家の方のお話に依れば、写真の塚を同家で数百年に渡りお守りをして来たとの由。亦、谷の奥には、角田屋敷の伝承もあるとのことであった。この角田さんと観音寺の角田さんの繋がり、考察してみようと思う。
合掌。


角田さんの塚の横には伊予へ抜ける古道が通っている。

角田さんの塚

角田さんの塚は、地図中央+の位置。地図は、Mapionからのトリミング

旧版「山城谷村史」収録地図からトリミング




付記
塚は、個人の敷地内にございます。調査等に関しては、それなりの配慮が肝要かと存じます。
合掌。




参考
時を遡ること四百二十数年、阿波の武将、大西上野守(大西上野介)は、観音寺へ逃れ、其の生涯を終えた。
上坂丹波守と大西上野守(大西上野介)
西讃府志に記されていた角田さん
http://kanonji.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

2012年11月23日金曜日

宇都宮匡児氏の仕事

畏友、宇都宮匡児大兄から、ご高著が届いた。蒲生家中の分限帳に関する本邦で最初の系統だった研究である。
私は、この春、氏の講演を聴く為、長駆、松山の地へと出張した。私の生涯で稀有の一日であった。
宇都宮氏が、今後も、持てる能力を思う存分発揮し、その天賦の才で、非命に倒れた蒲生氏、そして、その家臣団の研究を進めてくださることを祈念して止まない。
合掌。




上にアップロードした画像は、宇都宮氏からいただいたご高著と、付された書信である。氏のご好意に、心からの感謝を捧げるものである。
合掌。



付記
以下の拙文は、宇都宮大兄にご送付申し上げた文面である。

拝復、
ご高著、ご恵与賜り、有難うございました。
ご芳志、心より、お礼申し上げます。
非命に倒れた蒲生氏、蒲生家中に心を寄せる者にとって、大兄の纏められたお仕事は、待ちに待ったものでした。
数百年の間、望まれ、実現されなかったことなのでした。
日本に人が居た。
そのことを確信し、亦、喜びに満ちた時間を共有させていただきました。
記して、感謝いたします。
合掌。




参考
蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)
http://kanonji.blogspot.jp/2012/03/blog-post_12.html

佐藤篤氏の仕事

先日、佐藤篤がご来訪くださり、親しく歓談する機会を得た。亦、その折、氏の著した数々の書籍をご恵与いただいた。記して、心からの感謝を捧げるものである。
讃岐に生まれ住まいする私にとって、香西氏は、決して遠い存在ではない。然し、私の脳裏に蓄積されている知識はあまりに微々たるものであった。今後、佐藤氏の導きにより、新たな世界が開けようとしている。
ただただ感謝。
合掌。


中世讃岐国人 香西氏の実体 


 中世讃岐国人 伝承世界の香西氏


 中世讃岐国人 香西氏の歴史


勝賀山城の景観・香東川の流路


讃岐国と菅原道真


以上、アップロードした画像は、佐藤篤氏よりいただいたご高著の数々である。
合掌。



参考
合田學著「讃州香西郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代」
合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記」  
讃州生駒家家臣 植松氏
讃州生駒家家臣 香西氏
讃州生駒家家臣 佐藤氏

2012年11月19日月曜日

いつもの山の食堂で昼食


今朝は朝寝をいたしまして、ご飯が出来た頃だなと思った時、何と、電話、土建屋です。早起きしたかというので、そうだと答えると、嘘を言うなと申します。何と、縁側から外を見ると、フェンスの外から、此方を窺う巨躯が見えます。それで、朝食も摂らず、お山へと向かったのでした。
まずは、いつもの山の食堂で昼食です。私は、此処でいただく食事が大好きです。婆ちゃん子だった私が、幼少時よりいただいて参った懐かしい手料理を出してくださるからです。

合掌。