この文書に先行する時代、筑後は名越(北條)朝時・時章が守護に任じられており、名越氏の名代で、各地で働いていた合田氏の存在は、白山文書(白山宮庄厳講中記録)の記述からも知られています。その合田六郎系合田氏の知行所があったのでしょうか。それとも、弘安の役(元寇)で活躍した合田五郎系合田氏の恩賞地が設定されていたのでしょうか。
歴史は興味が尽きません。
合掌。
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