日本三代実録貞観六年十月十五日の項で見出した賀富良津神、東寺百合文書天喜四年十二月五日の讃岐国善通寺地子等支配状案に記されていた蕪津明神、ここ数日の僕は、時を隔てること、千年前の世界を彷徨っていました。高良、賀富良、蕪、何かがあるのです。
そんな分けで、充実はしているものの、心身は疲労困憊。そんな僕に、先ほど、神様がプレゼントをくださいました。嘗て、調査しても見出すことが適わなかった蒲生時代の會津城下屋敷図でした。吾が蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)の蒲生家中で占める地位が、分限帳同様、確固として明示されていました。後の保科松平氏の時代には、家老の西郷頼母が、五郎兵衛さんの屋敷に住むことになったようです。大手正面の一等地です。
合掌。
そんな分けで、充実はしているものの、心身は疲労困憊。そんな僕に、先ほど、神様がプレゼントをくださいました。嘗て、調査しても見出すことが適わなかった蒲生時代の會津城下屋敷図でした。吾が蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)の蒲生家中で占める地位が、分限帳同様、確固として明示されていました。後の保科松平氏の時代には、家老の西郷頼母が、五郎兵衛さんの屋敷に住むことになったようです。大手正面の一等地です。
合掌。
付記
この城下屋敷図の頃の侍帳が、ネット上で、公開されています。参考までに、URLと画像の一部を添付します。http://aizu.sub.jp/mokuji/bunkazai/bTOP.html
合掌。
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