以下、私が所蔵する「西讃府志」手写本と那珂多度同志會刊行本(1898年刊)の当該箇所をご紹介申し上げる。
合掌。
此れ等の画像データは、上坂氏顕彰会所蔵「西讃府志」第39巻「豊田郡坂本郷之部」より作成したものである。
以下、簡単に、書誌を記す。
「西讃府志」は、丸亀藩が藩政末期に制作した藩領に関する地歴書である。内容は、今一つ詳細を欠く面もあるが、現存する香川県西部地域に関する纏まった記録として唯一のものである。本書は、執筆担当者の直筆本と数部の手写本が存在するのみであったが、明治三十一年、那珂多度同志會の手によって、活字本が刊行された。
「西讃府志」成立の経緯等に関しては、上記活字本編集者、堀田璋左右氏の解説が詳しい。 ただ、残念なことに、この活字版は、堀田氏も記している通り、縮約本であり、「西讃府志」全てが印刷に付されたわけではない。為に、今日、その全貌を探ろうとすれば、丸亀市立図書館、鎌田共済会図書館、香川県立図書館等で架蔵されている手写本を参考にしなければならない。
合掌。
那珂多度同志會刊行本「西讃府志(1898年刊)」272頁。
参考
時を遡ること四百二十数年、阿波の武将、大西上野守(大西上野介)は、観音寺へ逃れ、其の生涯を終えた。
上坂丹波守と大西上野守(大西上野介)
覚伝大明神、或いは、角田(かくでん)さん
上坂氏顕彰会所蔵手写本 ……… 今一つの和本の世界へ
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