2016年8月12日金曜日

柞田郷 柞田荘 柞田庄

観音寺古地図

教西物語

合田學著「讃州豊田郡志  史料篇-1」

合田學著「讃州豊田郡志  史料篇-1」



一昨日、出先で、柞田に関する古い記述が無いかとの質問を受けた。柞田は、近世初頭、吾が母方の父祖、上坂氏(太閤与力・観音寺城主)が、2170石という、当時としては稀有な一括知行を行っていた地域であった。佳い機会であるので、鎌倉期以降の柞田の名が記された文書を幾つかご紹介申し上げることとする。
合掌。



01  續左丞抄

讃岐柞田荘四至膀示注文   建長八年(1256年)八月廿九日


續左丞抄 第一

續左丞抄 第一



02  續左丞抄

讃岐柞田荘實検田畠在家目録   建長八年(1256年)八月廿九日


續左丞抄 第一

續左丞抄 第一



03  兼仲卿記(勘仲記)

祝部成顕重申状




04  續群書類従の神祇部巻第五十二

元應元年大社小比叡社社家注進状




付記
01から04に関する簡便な講読手段として、鎌倉遺文収録の活字化史料を紐解くことをお奨めする。
第11巻-文書番号8025、第11巻-文書番号8026、第20巻-文書番号14963、第35巻-文書番号27295。

第20巻-文書番号14963



05  讃州府志

藤原家資の海賊捕進の功に言及した藤尾城の項に、柞田大夫村重の名が見えけられる。



06  九条家文書

入道前摂政藤原道家の惣処分を伝える文書中に、讃岐国柞田庄の名が記されている。



07  根岸文書

細川顕氏書簡に、日枝社領讃岐国柞田荘雑掌の記事が見える。



08  細川文書

足利義満書簡中に、柞田地頭職のことが記されている。



付記
05から08に関する簡便な講読手段として、大日本史料収録の活字化史料を紐解くことをお奨めする。
第5編20巻122頁、第5編34巻125頁、第6編11巻569頁、第7編4巻517頁。

第5編20巻122頁



09  細川文書

細川常久(頼之)書状に、柞田殿(頼有)と記されている。



付記
09に関する簡便な講読手段として、南北朝遺文の活字化史料を紐解くことをお奨めする。
第6巻-文書番号5252

第6巻-文書番号5252



8.18、全体の構成を変更、そして、史料09を増補した。
合掌。

2016年8月7日日曜日

永遠のゼロ、その夜のミントは、特別な時間が流れていました。  その三

映画「永遠のゼロ」を神戸三宮のミントで鑑賞した折、僕は、この作品の原作者は、宮部鼎蔵を脳裏に浮かべ、主人公の名を付けたのではないかと思ったのでした。
みやべていぞう(宮部鼎蔵)、幕末肥後の勤皇家でした。
画像を添付した書籍は、三十数年前、神風連資料館を訪れた折、購入いたしたものです。
合掌。

追記
湖北出身の豊臣系武将に、宮部継潤という人がいました。この家は改易となったのですが、その一族の宮部木工、宮部馬之丞といった人が、当地へ移り、二千石の知行を得ています。その家の別の流れが、細川家に仕え、肥後へ参りました。宮部鼎蔵は、この家筋に繋がる人でした。
作者は、嘗て、宮部鼎蔵に惹かれるものがあったのかなと、勝手に想像いたしました。
合掌。




2016年8月3日水曜日

竹画

建部凌岱著「漢画指南」から、竹画をご紹介申し上げる。精神的東洋なるものを思う時、佳き伴侶となるのではなかろうか。
本書「漢画指南」の著者、建部凌岱(1719-1774年)は、戯作者、俳人として著名である。幼名、金吾。 字は、孟喬。凌岱、綾足、寒葉齋と號した。陸奥の国、弘前に生まれ、長じて京ヘ出、東福寺に入り、僧となった。後、江戸へ移り、俳諧、図画を業とした。主な著作に、「西山物語」、「本朝水滸伝」がある。
用いたテキストの法量は、縦27.2cm、横18.6cm。発行者は、皇都書林、菱屋孫兵衛。発行年は、安永八年(1779年)。表紙には、薄青色の和紙が使われている。
合掌。








2016年7月24日日曜日

篠川直の仕事

ある友との出逢いから、丹波柏原藩の史料を紐解きました。この作業の過程で、篠川直という学者の存在を知りました。彼は、柏原藩史、柏原織田家臣系譜といった書籍を著していました。廃藩置県から未だ時を経なかった頃、こうした著作が為されていたのでした。素晴らしいことだと思いました。人の踏ん張りを垣間見せていただいた瞬間でした。佳き先人の仕事に、心からの敬意を捧げるものです。
合掌。


 柏原藩史(1898年刊)

柏原織田家臣系譜(1991年刊)

2016年7月18日月曜日

阿智王(阿智使主)





阿智王(阿智使主)、興味深い古人の一人である。佐伯有清著「新撰姓氏録の研究・考證篇」では、以下の頁に、その詳細が記されている。
合掌。


新撰姓氏録の研究・考證篇第四 397-401頁

新撰姓氏録の研究・考證篇第五 114-117頁、369-373頁、451頁

新撰姓氏録の研究・考證篇第六 006-009頁、117頁、243-265頁



付記
吉川弘文館は、栗田寛氏の「新撰姓氏録考証」に引き続き、佐伯有清著「新撰姓氏録の研究全十巻」を刊行された。この素晴らしき出版活動に、心からの敬意を捧げるものである。
合掌。

2016年7月15日金曜日

此の御酒は 吾が神酒ならず 酒の神 常世にいます 巌立たす 少御神の 豊寿き 寿ぎもとほし 神寿き 寿ぎくるほし 献り来し 御酒ぞ 餘さず飲せ ささ

此の御酒は 吾が神酒ならず 酒の神 常世にいます 巌立たす 少御神の 豊寿き 寿ぎもとほし 神寿き 寿ぎくるほし 献り来し 御酒ぞ 餘さず飲せ ささ


2016年7月13日水曜日

昨日の夕日





昨夕、日没前の空に、レンズを向けてみました。
合掌。

2016年6月29日水曜日

エリンギとすりおろしたまねぎの為のカレー





久方ぶりのカレーです。ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの為のソナタならぬ、エリンギとすりおろしたまねぎの為のカレー。美味しかったです。
合掌。

2016年6月28日火曜日

きのふ見し人の心にかヽるかなこれや思ひのはじめなるらん

きのふ見し人の心にかヽるかなこれや思ひのはじめなるらん

鎌倉期の文献を紐解く時が多いのです。今夕、僕には珍しく、歌集を扱いました。文応三百首です。上記の歌は、そこに収録されていました。
合掌。

2016年6月21日火曜日

われ男の子 意氣の子名の子 つるぎの子 詩の子戀の子 あゝもだえの子

われ男の子 意氣の子名の子 つるぎの子 詩の子戀の子 あゝもだえの子

われをのこ いきのこなのこ つるぎのこ しのここいのこ ああもだえのこ


昨夜、ふと、上記の歌が、脳裏に浮かんだ。
与謝野鉄幹氏の歌集「むらさき」に収録されていた作品である。
合掌。



2016年5月12日木曜日

ショウジョウトンボ(Crocothemis servilia mariannae)の登場

Crocothemis servilia mariannae

ショウジョウトンボ(Crocothemis servilia mariannae)、彼こそが、名実共に、赤蜻蛉である。然るに、秋に胴体のみ赤くなるアカネ科の蜻蛉を指して、識者は赤蜻蛉という。随分と不思議なことである。
合掌。

付記
拙文、及び、写真は、過日、僕の蜻蛉のブログにアップロードしていたものです。
合掌。

2016年5月6日金曜日

和泉守兼定を愛す人なりき死に急ぎ死にてゆきし人なりき

五月十一日、土方さんのご命日です。
明治二年五月十一日、函館の五稜郭での戦闘で、戦死なさいました。
合掌。



和泉守兼定を愛す人なりき死に急ぎ死にてゆきし人なりき
(土方歳三、明治二年五月戦死)




歌は、村上一郎氏の歌集「撃攘」から、引用させていただきました。
合掌。

2016年4月12日火曜日

高良社と石崎若狭守

一昨日は、元気を失っていました。為に、高良の社へ参詣、社頭で佇立し、暫く時を過ごしました。それから、近在の図書館へ参りました。そして、何故か、群書類従がある書架の上部を見上げたのです。そこには、古事類苑が並んでいました。この叢書は数十冊あり、然も各冊が千七百頁を越える大冊です。その内に、神祇部四冊があったのです。僕は、その四冊目の1498頁に、高良社の名を見出しました。嬉しいサプライズでした。読み進んでいくと、日頃より近しく思っていた石崎若狭守の名が記されていました。この人は、筑後田中藩の高禄の侍(3650石)で、田中家改易後は、讃岐生駒藩の家老(3000石)を務めています。生駒家家臣分限ノ記を紐解くと、旗下の侍たちの掌握力に優れた立派な武人であったことが分かります。
ここに於いて、当地の高良の社を支えてくださっていた新たな人脈が浮かび上がりました。嬉しいサプライズでした。一気に元気が戻りました。
僕は、昨年の九月から、縁あり、高良社に関して学んでいますが、その折々に、神様のお助けを感じて参りました。きょうも、お導きがございました。有り難いことだなと思います。
合掌。 


筑後田中藩時代の石崎若狭守

古事類苑第九冊神祇部九十七

田中吉政家中知行高

田中家臣知行割帳



讃岐生駒藩時代の石崎若狭守

合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記」

合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記」

合田學校訂「生駒家家臣分限ノ記」

 合田學著「生駒家給人帳、生駒家知行帳、寛永期讃岐の知行形態」

 合田學著「讃州生駒家に於ける給人知行の概要」

 合田學著「讃州生駒家に於ける給人知行の概要」

合田學著「讃州生駒家に於ける給人知行の概要」