金毘羅参詣名所図会を紐解いていて、琴弾山山頂に、高良の社が描かれていることに気が付いた。琴弾宮本社の左である。現在、境内社としてある位置とは全く異なるし、社殿の規模も違う。この事実を、お伝え致したく、稿を準備した。
因みに、倉富了一著「高良山物語」では、筑後の高良社は、玉垂宮、或いは、琴弾宮と称されていたと記されている。
然らば、八幡宮勧請以前、当地の琴弾山には、高良社が、既に、ご鎮座されていたのだろうか。合掌。
金毘羅参詣名所図会
金毘羅参詣名所図会
倉富了一著「高良山物語」
参考
元来、縁起は、体制固めが終わった頃に成立する。だから、以後は、そうなのだろうけれど、以前がそれであったとは限らないと思う。
絵縁起に描かれている琴弾山山上、縁起成立以前を探る方途は無いものだろうか。高良の社のことが気に懸かる。
合掌。
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