2013年9月15日日曜日

三嶺 2013年9月13日


































































久方ぶりに、三嶺に登りました。
添付の地図、上の二枚は三好市役所観光課発行の「三嶺・剣山登山ガイドブック」からのトリミングです。そして、下の二枚は電子国土からのトリミングです。製作担当の皆様に記してお礼を申し上げます。
合掌。

お気に入りの山の食堂


こんにちは。
雨雨雨の当地なのですが、昼食は、お気に入りの山の食堂まで参りました。
片道五十キロ強ございますが、訪ねる価値のあるお店です。
お腹いっぱい。美味しかったです。
合掌。

埜々下郁(Nonoshita Kaoru)さんの演奏



土佐のパワースポットで出逢った若き演奏家、埜々下郁さんの演奏です。
真摯な人柄に惹かれました。
合掌。

2013年9月10日火曜日

寳壽院 神宮寺

嘗て、三野郡詫間の地に、寳壽院神宮寺という寺があった。生駒藩政期には、寺領四十石という破格の待遇を受けていた大寺である。近在の萩原寺が三石九斗七升、善通寺誕生院が五十石であったと記せば、その地位を納得いただけるかと思う。
然し、明治維新の廃仏毀釈の騒乱と共に、この寺は忽然と姿を消した。跡形も無く・・・・・。後には、寳壽院神宮寺が別當を務めた浪打八幡宮があるのみである。
何故、寺が、此れほどまで破却されたのか。地元、詫間の村史、町史には、不思議なことに詳細が記されていない。
合掌。




参考
生駒家家臣分限ノ記に記された寺社知行より、当該箇所をアップロードする。
合掌。


六十石 白峯領

四石五斗 北条天王領 <崇徳天皇社>
六石五斗 宇足津宮 <宇夫志奈大明神>
二石 宇足津弁財天
二石六斗四升 岡田八幡 <上野八幡宮>
五十石 弘憲寺
一石九斗 福成寺
九斗六合 高林寺 <専立寺>
一石四斗三升 奥河津宮領 <庄宮八幡宮>
十八石 見性寺
十六石 柞原宮領 <山北八幡宮>
八斗 柞原権現 <素盞大明神>
一石二斗 中分宮領 <會下天満宮>
二十三石五斗 金毘羅領
三百六石五斗 松尾領
一石五斗 大日領 <春日大明神>
九石三斗 まんだらじ <曼陀羅寺>
五十石 誕生院 <善通寺>
四石 下吉田宮領 <八幡宮>



三石 下高瀬八幡
三石 楠井明神領 <新田大明神>
一石 楠井権現領
一石 楠井薬師領
二石 柞原寺
四石七斗 神田宮 <大水上神社>
二石七斗三升 財田上八幡領 <鉾八幡宮>
二石六斗 財田上龍王領
一石四斗 財田上厳嶋之宮
二石一斗 財田中乗覚院 <高橋氏>
一石五斗四升 財田西天神領
六石六斗 本山大明神 <高良大明神>
一石五斗四升 持寳院 <本山寺>
三石 笠岡宮領 <宇賀大明神>
四十石 けんぎょう與 <寳壽院神宮寺
三石三斗 仁保宮領 <賀茂大明神>
一石 覚城院
三石九斗七升 萩原寺
六石六斗 興昌寺




補遺

以下、現在、移転保存されている釣鐘の傍らに立つ案内板の写真、周辺地図、及び「生駒記」「西讃府志」「詫間村誌」の当該箇所をアップロードする。
合掌。

  






2013年8月30日金曜日

香川氏と弥谷寺




昨日、観音寺香川氏の末裔である山口の石井さんが参られ、ふる里で好物のうどんをいただきながら、最近の調査結果をご教示いただいた。
それから、三野町誌(382-383頁)に記載された墓所の確認の為、弥谷山さんへと参った。写真はその時のものである。
亦、アップロードした町誌は、父の書斎にあったものを画像データ化したものである。
合掌。


追記
三野町誌に引用されていた新大見村史の記述を、以下、画像データにてアップロードする。
香川山城守景澄室の出自が大西氏であったこと、大変、興味深い。後、上坂丹波守在城時の観音寺城へ大西上野守が来訪、その庇護下で余生を過ごした事実と併せ、大西氏の存在も一考を要する。
山城守の居城だと伝えられている高谷城の確定を急ぎたい。観音寺城は、別名、高丸城と呼ばれ、香川景全の居城であったと伝えられるが、山城守を名乗る一門衆が、嘗て、観音寺城(高丸城)の主であった可能性もある。と申すのも、最西端の要地、観音寺に、景全(信景の弟)襲封以前に城がなかったとは考えられないからである。
合掌。



補遺
以下の記述も、何だか繋がってきそうな予感がある。山城守の室が、大西氏の子女であったからである。

参考
時を遡ること四百二十数年、阿波の武将、大西上野守(大西上野介)は、観音寺へ逃れ、其の生涯を終えた。
上坂丹波守と大西上野守(大西上野介)
観音寺城については、以下のURLを参照されたい。  
http://kanonji.blogspot.com/2011/11/blog-post_3261.html
観音寺十王堂跡地については、以下のURLを参照されたい。 
http://kanonji.blogspot.com/2010/01/blog-post.html
合掌。

2013年8月28日水曜日

長宗我部元親公



二十七日、土佐の地へ、長駆出張した。
帰途、若宮神社へ参り、参道横で、尊敬する長宗我部元親公の像を撮影した。
合掌。

2013年8月12日月曜日

阿波三加茂 田岡の天麩羅蕎麦


私が、この店を訪ねて、早、三十数年が過ぎた。家人が長子を懐妊中、食が進むことを願い、母が案内してくれたのが最初だった。爾来、私は、阿波に参ると、この店を訪れる。田岡うどんと言うのが、正式の名称、依って、うどんを注文しているお客さんも多数いる。然し、讃岐から参る私は、いつも、蕎麦をお願いする。お奨めのお店である。
合掌。

2013年7月9日火曜日

山の食堂

昨日、久方ぶりに、山の食堂に出かけた。暑さで食欲が無く体力が落ちていた為、英気を養う為である。昨日も、期待通りの食事を供された。美味しかった。ただただ感謝である。
合掌。



天麩羅定食 2013年7月8日撮影分





天麩羅定食 2013年6月6日撮影分



2013年7月4日木曜日

天霧城址

西讃岐の雄、香川氏の居城であったと伝えられる天霧城址の遠景です。
合掌。




追記
先ほど(2013年9月4日午前)、仲多度郡史冒頭にも、天霧山の写真が掲載されていることに気が付いた。画像データを作成したので、併せて、アップロードする。
合掌。

長法寺 観音寺新左衛門

先ほど、観音寺新左衛門の菩提寺と伝えられる長法寺について、以下の記述に遭遇した。失念してはならぬので、記録の意味も込め、以下、アップロードする。
尚、本史料は、廣江清氏の遺稿とのことである。遠隔地に居住している為、今日まで、寡聞にして存じなかった。
合掌。


http://www4.ocn.ne.jp/~ja5km/cyusei/tyusei_004.htm#3禅寺

以下の文章と画像は、上記URLより、拝借したものである。
記してお礼を申し上げる。
合掌。




長宝寺長法寺は、「城主観音寺新左衛門菩提のため地下より建立」とあるが、同寺の寺領は、「観音寺新左衛門殿分」とあるので、自身が菩提寺として建立したものが誤り伝えられたものである。



付記
上記引用文中の括弧内赤文字、及び画像内赤矢印は、ブログ筆記者が記したものです。
合掌。



参考 観音寺氏(観音寺香川氏)関係拙稿一覧


讃岐・観音寺城、土佐・鹿持川城
文書から見る観音寺香川氏の事跡 一
文書から見る観音寺香川氏の事跡 ニ
長宗我部地検帳 幡多郡入野郷鹿持川村

2013年3月20日水曜日

植村屋さんのシュークリーム

昼前に同期の元祖ぶー君がやって来た。庭仕事をしていた家人と彼がお喋りしている間に、外出の準備をした。当初、阿波へ向かう予定だった。然し、雨が止まないので、財田の32号線に出たところで行き先を変更、丸亀に向かった。途中、昼食を摂っていなかった私は、国道沿いの店で、とんかつ定食をいただいた。丸亀駅前の駐車場に車を停めてから、私たちは久方ぶりに丸亀の町を散策した。中学と高校、六年間を過ごした懐かしい場所である。歩行中、今度は元祖ぶー君がお腹が空いたと言い出した。それで、きらくに入り、うまいぶんと餃子を注文した。メリエンダであった。此処で、珍道中の二人は宇多津のアルペンに向かった。元祖ぶー君が登山用のジャケットを買った。次は丸亀のトイザラス、今度は私がヘリコプターを購入した。


その後、多度津の歴史資料館にお邪魔、そして、仁尾の植村屋さんを訪ね、シュークリームをゲットした。


拙宅に戻り、元祖ぶー君には、家人が作った苔盆をプレゼントした。良く食べ良く遊んだ一日が終わった。彼とは四十六年の付き合いである。嫁より古い。不思議な縁である。古き良き友に、ただただ感謝。
合掌。

2013年2月15日金曜日

定点観測ポイント 2013年2月14日

久方ぶりに、定点観測ポイントへ参りました。お目当ての艦は通りませんでしたが、散策を愉しみました。
合掌。



2013年2月11日月曜日

二月十一日 紀元節の歌

紀元節の歌

雲にそびゆる 高千穂の 
高根おろしに 草も木も 
なびきふしけん 大御代を 
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

海原なせる 埴安の 
池の面より なおひろき 
恵みの波に 浴みし世を 
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

天津日嗣の 高みくら 
千代万代に 動きなき 
もとい定めし そのかみを 
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

空に輝く 日の本の 
万の国に たぐいなき 
国のみはしら たてし世を 
仰ぐ今日こそ 楽しけれ 

2013年1月28日月曜日

ドルメン創刊号






早朝から隣県へ出張、所用を終え蜻蛉帰りした私は、行き付けの骨董屋に寄った。塗り物(輪島)を見た後、和本の出物はないかと探した処、一冊の書冊が眼に映った。お目当ての和本ではなかったが、ドルメンの創刊号があったのである。
ドルメンは、東京の岡書院が、昭和七年四月から刊行を始めた「人類學、考古學、民俗學並に其姉妹科學にたづさはる諸學究の極く寛いだ爐邊叢談誌」である。執筆者には、あの花祭の著者、早川孝太郎もいた。此れは、良い邂逅、良い買い物であった。
因みに、本書の法量は、縦22cm、横14.8cmである。
合掌。

追記
巻頭論文「長安の春」の著者、杜邨生は、石田幹之助氏(当時、東洋文庫主任)の筆名である。
合掌。

補遺
長安の春(本書第一頁)右に付された冊子刊行の辞を以下に引用する。
合掌。
ドルメン」は人類學、考古學、民俗學並に其姉妹科學にたづさはる諸學究の極く寛いだ爐邊叢談誌である。
其処には黨心偏念なく、靄然たる歓談漫語の裡に智識の交詢が自ら行はれ、和やかにして然かも豊かなる、斯學界唯一の公機たらしめん事を企圖する。
されば一方本誌は斯學界消息の調査報導には特に多くの力を注ぐであらう。従って斯學界の刊行物は固より、更に斯學方面の出版界消息の報導も亦本誌の使命とする所である。