2016年4月3日日曜日

琴弾山の高良社

金毘羅参詣名所図会を紐解いていて、琴弾山山頂に、高良の社が描かれていることに気が付いた。琴弾宮本社の左である。現在、境内社としてある位置とは全く異なるし、社殿の規模も違う。この事実を、お伝え致したく、稿を準備した。
因みに、倉富了一著「高良山物語」では、筑後の高良社は、玉垂宮、或いは、琴弾宮と称されていたと記されている。
然らば、八幡宮勧請以前、当地の琴弾山には、高良社が、既に、ご鎮座されていたのだろうか。
合掌。


金毘羅参詣名所図会

金毘羅参詣名所図会

金毘羅参詣名所図会

金毘羅参詣名所図会

倉富了一著「高良山物語」


参考
元来、縁起は、体制固めが終わった頃に成立する。だから、以後は、そうなのだろうけれど、以前がそれであったとは限らないと思う。
絵縁起に描かれている琴弾山山上、縁起成立以前を探る方途は無いものだろうか。高良の社のことが気に懸かる。
合掌。







2016年4月1日金曜日

外宮 内宮 伊雜宮 猿田彦大神社

外宮、内宮、伊雜宮、猿田彦大神社の高解像度画像をアップロードする。和装本の左右頁の傾きを修正、亦、余白部分を削除、そして、合成した。
合掌。




  



2016年3月17日木曜日

蕪津大明神(五所明神) その二





長駆出張、善通寺へ参りました。
五所明神の所在を確認、参詣いたしました。
合掌。

2016年3月9日水曜日

蕪津大明神(五所明神) その一





金毘羅参詣名所図会第二巻に描かれている善通寺境内を具に確認した所、過日は見出すことが適わなかった五所明神の文字が、画像左上に描かれている大楠の内に現れました。嬉しいサプライズでした。
以下、五所明神について記した善通寺文書です。縁者の松原秀明先生が、二十七年前、翻刻したものです。1989年11月28日に、松原先生からいただいたと、書冊の末尾に記していました。
合掌。
+
+
天明六年午二月 津森組多度郡村々寺社帳
五所明神二社 誕生院伽藍ノ内ニ在 別當善通寺村誕生院 北一社合殿蕪津大明神、大麻大明神、南一社合殿大歳大明神、雲気大明神、廣濱大明神 社人入用之節ハ行事冨之進罷出相勤申候
+
文政六癸未歳五月改 誕生院並末寺中構之寺社帳
五所明神二杜 伽藍之内ニ在 誕生院構役寺観智院
  北一社蕪津大明神、大麻大明神、大歳大明神合殿 南一社雲気大明神、廣濱大明神合殿 但「正徳三巳寺社御改帳」ニ者無御座候得共、「寳暦九卯神社帳」ニ載居申候。勧請年暦者相知不申候。社人入用之節者大握大和相勤申候
+
+
追記
蕪津大明神の名が、筆頭に記されていることに気付きました。
蕪津大明神 ⇒ 賀富良津神 ⇒ かふらつのかみ ⇒ 高良津神 ⇒ 高良玉垂命かと思うのです。
合掌。

2016年3月8日火曜日

あそびをせんとやうまれけむ たはぶれせんとやむまれけん

あそびをせんとやうまれけむ。たはぶれせんとやむまれけん。あそぶこどものこゑきけば。わがみさへこそゆるがるれ。

遊びをせんとや生れけむ。戯れせんとや生れけん。遊ぶ子供の声きけば。我が身さえこそ動がるれ。




梁塵秘抄の雑八十六首から。
僕のお気に入りです。
合掌。

2016年2月29日月曜日

蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)の會津城下屋敷地

日本三代実録貞観六年十月十五日の項で見出した賀富良津神、東寺百合文書天喜四年十二月五日の讃岐国善通寺地子等支配状案に記されていた蕪津明神、ここ数日の僕は、時を隔てること、千年前の世界を彷徨っていました。高良、賀富良、蕪、何かがあるのです。
そんな分けで、充実はしているものの、心身は疲労困憊。そんな僕に、先ほど、神様がプレゼントをくださいました。嘗て、調査しても見出すことが適わなかった蒲生時代の會津城下屋敷図でした。吾が蒲生五郎兵衛郷治(上坂源之丞)の蒲生家中で占める地位が、分限帳同様、確固として明示されていました。後の保科松平氏の時代には、家老の西郷頼母が、五郎兵衛さんの屋敷に住むことになったようです。大手正面の一等地です。
合掌。






付記
この城下屋敷図の頃の侍帳が、ネット上で、公開されています。参考までに、URLと画像の一部を添付します。
http://aizu.sub.jp/mokuji/bunkazai/bTOP.html
合掌。

蕪津明神




東寺百合文書に、天喜4年12月5日、讃岐国善通寺地子等支配状案がございます。
その内に、蕪津明神の名が記されています。
高良、賀富良、蕪。
合掌。



付記
先のスレッドでご紹介申し上げた「明治神社誌料」収録の熊手八幡神社の項では、以下の「讃岐国官社考証」の記事が使われているようです。
合掌。


2016年2月28日日曜日

賀富良津神

太古、かふらのかみさまが、ご鎮座され、その地は、かうらと呼ばれるようになった。賀富良という漢字が当てられた。そして、そこに、湊が開削され、賀富良津と称された。時を経、人々は、かふらのかみさまを、賀富良津神と記し、尊崇した。
合掌。


国史大系.第四巻所収「日本三代実録」


賀富良津神、今、国史大系.第四巻所収「日本三代実録」貞観六年十月十五日の項で名を見出すことが適いました。高良神だと思うのです。神を崇敬し、日々、歌を詠む友と過ごした時が、僕を、この時空間へと運んでくれたような気がいたします。
合掌。



明治神社誌料府県郷社 香川県 熊手八幡神社



参考 以下、神社覈録(ジンジャ カクロク)からの引用です。



付記
続群書類従神祇部に収録されている「神階記」巻之三に、賀富良津の記載を確認いたしました。
合掌。



追記
江戸後期の金毘羅参詣名所図会では、迦毘羅津という字が使われています。たった今、気付きました。
合掌。

2016年2月27日土曜日

讃岐の高良社 その二  分布:仲郡・多度郡・三野郡・豊田郡篇

高良社 三野郡本山之郷


高良社がご鎮座されている郷村を、過日刊行した拙著に収録した表計算データ(讃州御国中村切高惣帳)から抽出、仲郡、多度郡、三野郡、豊田郡の順にアップロードしてみました。十三社あり、十社は藩主の直轄地が存在する地域、他の三社も家老の知行所に隣接する地域にご鎮座されていることが確認できました。
古来、ご鎮座された頃から、非常に佳き土地が選ばれていたようです。亦、現在、八幡宮の境内社扱いになっている社の場合でも、当該地の古称が賀富良津と称されていたりして、興味深いです。付言すると、別の八幡宮も、天正以前は、何と高良社であったという伝えもございます。
他の社に比べ、分布数がとても少ないのですが、要所要所に、ご鎮座され、讃岐の地を守ってくださっています。有り難いことです。
合掌。










参考図書

合田學著 「讃州仲郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代 分冊-1」
合田學著 「讃州多度郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代 分冊-1」
合田學著 「讃州三野郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代 分冊-1」
合田學著 「讃州豊田郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代 分冊-1」

2016年2月4日木曜日

讃岐の高良社 その一  西讃府志編

讃岐の高良社と題し、管見に触れた、社に関する史料を、これから纏めていこうと思う。その鏑矢として、江戸後期に成立した西讃府志(明治31年刊行活字本)に記された当該箇所を抽出、ご紹介申し上げる。
合掌。

189頁下段  高良祠     仲郡金倉郷下金倉村  
223頁下段  高良祠        三野郡熊岡郷比地大村
233頁下段  高良大明神  三野郡大野郷中之村
236頁上段  高良大明神  三野郡本山郷寺家村
239頁上段  高良祠     三野郡詫間郷詫間村
260頁上段  高良祠     豊田郡山本郷原村
275頁上段  高良祠     豊田郡坂本郷寺家分
311頁上段  高良祠     多度郡葛原郷南鴨村
313頁下段  高良祠     三野郡大野郷上之村





高良祠 仲郡金倉郷下金倉村



高良祠 三野郡熊岡郷比地大村



高良大明神 三野郡大野郷中之村



高良大明神 三野郡本山郷寺家村



高良祠 三野郡詫間郷詫間村



高良祠 豊田郡山本郷原村



高良祠 豊田郡坂本郷寺家分



高良祠 多度郡葛原郷南鴨村



高良祠 三野郡大野郷上之村